このたび、日本を代表する音楽評論家・作詞家である湯川れい子さんと日本寄付財団代表理事の村主悠真さんとの対談が実現しました。世界平和や社会活動に対する思い、女性の社会進出の現状について語っていただきました。

社会活動に目覚めたきっかけ

村主 湯川さんとは初対面なのですが、共通の友人が多いこともあって、湯川さんのお話はよく伺っていました。僕の中での湯川さんは、挑戦者というイメージが強いです。これまでに、新しいことや面白いことをたくさんやってこられた方ですし、当然僕は絶対に見ることができない時代の物凄い瞬間を、最前線で見てきた方だと思います。

湯川 対談するにあたって、村主さんのことを初めて知ったのですが、どのようなことをされているのか教えていただけますか?

村主 僕は19歳で起業して、そこからずっと経営者の道を歩んでいるのですが、何のためにお金を稼いでいるんだろうとずっと考えていました。最初は当然自分がお金を持ちたいという思いもあったのですが、30歳くらいに、世界で苦しんでいる人々へのサポートができるのではないか、人のために生きることができるのではないかと気づきました。それからアジア各国やアフリカといった学校や孤児院や医療関係の支援を始め、その活動がどんどん加速し、本格的に動き出したのがここ数年です。世界中の仲間たちと一緒に、世界平和に向けてみんなで一緒に活動していきたいと思っています。

湯川 わたしが社会貢献を初めて目にしたのは、最初に東京オリンピックが開催された1964年に訪れたニューヨークです。そこで、ボランティアという社会活動をしている人たちに出会いました。

村主 それまでの日本においては、社会貢献といった概念はなかったのでしょうか?湯川 ”向こう三軒両隣”という言葉はありましたが、女性が社会に出て何かをやるということは、戦争中の奉仕団のようなものしかありませんでしたね。ですので、富裕層の女性たちが社会活動をするという姿を見たのは、このニューヨークが初めてでした。

女性の社会進出や昨今の世界情勢について

村主 湯川さんは、今の時代とは全く違う変化のエネルギーのど真ん中にいらっしゃった方だと思います。ですので、湯川さんが今の時代を見てどう思っていらっしゃるのかということに、とても興味があります。

湯川 寿退社や肩たたきが当然のこととしてまかり通っていた時代に、女性が1人で仕事をすることは、社会的に認めてもらえないことが多かったです。本当に今とは時代が違うんだろうなと思います。けれど実は当時から今も変わってないと感じることもありますね。

村主 女性の国会議員数がまさにそうではないでしょうか。戦後の日本の女性議員数は約1割弱と当時は世界とあまり差はありませんでした。しかし現在、女性議員の割合がトップの国では、その比率は50%を超えています。それに対して日本は戦後とそれほど変わっていない状況で、世界各国と比べてもかなり低い水準にとどまっています。

湯川 これはジェンダー的な問題だと思うのですが、政府を始め、やはり男社会というのは団体で動いているところが多いので、ある種のピラミッド社会が組み上がっていますよね。自分はこのピラミッドの中のどこにいるのか、いつトップに立てるのか、そういったポジション争いに対して男の人は敏感だと思います。女性議員数の少なさは、そうしたピラミッド社会に起因しているのかもしれませんね。

村主 政治の世界はまだこのような状況ですが、そうした社会の中でも、湯川さんのような女性が戦ってこられて、日本の女性の地位がどんどん上がってきたのだと感じています。

湯川 わたしは戦ってきた感覚はあまりありませんが、ただ、その渦中の1人として声を上げることはやってきました。わたしは洋楽だけではなく作詞家として邦楽にも携わってきたので、「ジョン・レノンがこう言っていますよ」というように、他の女性よりも言いやすかった面はあります。そして、男社会の中で今まで生き残ることができたのは、自分で詞を書いてヒット曲を生み出してきたからだと思います。

今回のコロナの問題で、真っ先に職や収入を失ったのは女性たちです。雇い止めにあったり、家賃が払えない状況に陥ったりしている方が多いと思います。また、音楽業界も苦境に追い込まれ、コロナ禍においてライブハウスは半分ぐらいになってしまったのではないでしょうか。コロナ禍ではこのような人々への行政の保護が薄いと感じています。

村主 音楽業界以外にもほぼ全ての業界にコロナが直撃したので、行政的にもなかなか全ての人を完璧に救済することは難しいでしょうね。

湯川 例えば、元々音楽の仕事をしていて収入が下がったという人は申請ができますが、これから何かを始めようとしている人々には、申請する窓口すらありません。そうしたことも含めて、日本の文化や芸能のあり方についての問題が、コロナで浮上してきたと感じています。わたしは、そのような人々をどうやったら救えるのかとずっと考えてきました。わたし自身の認識を変えていかなければいけませんし、また若い人たちには、選挙に行ってもらって、もっと大きな変化を起こしてほしいと感じています。

日本の文化について

湯川 日本には世界に打ち出していける文化がたくさんあると思っています。もっと力を入れて、日本の素晴らしさを世界へ届けるためには、村主さんがされているような支援が必要だと思いますし、若い方たちにももっと考えてほしいと思っています。物を一つ修繕するにしても、日本の技術は世界から信頼されていますよね。漆塗りの技術であったり、織物の技法であったり、本当に素晴らしいものを持っているのに、後継者がいないことで、多くの業界が困っています。

村主 僕は着物の文化を守る会を始め、伝統文化を守る活動の支援もさせて頂いてるのですが、団体によっては70代や80代の方が中心ですし、その組織に若者はいません。そうすると若者の意見が当然入ってこないので、すごい昔の話をしている感覚になります。連絡手段でメールやLINEが使えない方も多いので、電話やFAX限定となってしまうと、今の時代の感覚とは合いませんよね。トップの方が83歳で最年少という団体もあります。そうなると、もう後継者というレベルの話ではなくなってしまいます。

湯川 そういった面を、日本の貴重な財産として若い人たちがどんどんサポートしていけるような環境を作っていけたらいいですよね。また、逆に今の子どもたちは、物心がついたときから、スマートフォンやタブレットに親しんでいるので、基本的な美や文化に触れる機会が少ないと思います。これからは、そういうものに触れる機会を与えてあげることも大事になってくるのではないでしょうか。

村主 僕はアートが好きなのですが、日本では現代アートを見ることができる空間は、それほど多くはありません。もちろん東京にはありますが、地方にはそういったギャラリーはほとんどありません。ですので、僕は自分のコレクションを地方に貸し出して、小学校などで見てもらうイベントもやっています。今のアートは、彼らと同じ感覚のアーティストが作っているものなので、すごく楽しんでくれています。このようにアートや音楽といった文化に触れて、感動してくれる子どもたちが増えていくと良いなと思っています。

これからを担う女性たちに伝えたいこと

湯川 女性が社会に出ると、”わきまえない女”という表現をされることがあります。わたしも、そういう意味では組織の中でわきまえない女の一人だったと思います。みんなが根回しして、組織として出した答えを、一晩じっくり考えてみると、何かおかしいとか、危険だからやめておきましょうとか、そのように感じることがあります。そういう本能的な反応は、命を産んだり育んだりするような皮膚感覚や子宮感覚があるからこそだと思うんですね。やはり女性には、そのような感覚を日常の生活ではもちろん、組織や政治、物づくりなどあらゆる面で活用してほしいですね。

それが本当の意味で、食の安全や生活環境を守ることにつながると思います。組織というのは、女性が3分の1ぐらいいてくれないと動かないものだと思います。ですので、女性たちがもっと意思決定の場に入っていくことができれば、世の中はもっともっと良く変わるかもしれません。

村主 男だけで喋っていると、特定の共通言語が多いので、一見スムーズに進んでいるように見えます。しかし、暗黙の了解のまま進んでいくと、その結果、変な方向へ行ってしまうことも起こり得ます。男だけの極端な議論に対して、冷静な女性の目線からアドバイスしていただいて気づけたことは、これまでに何度も経験してきました。

湯川 女性の持つ忖度のなさというのは、とても大事な要素ではないでしょうか。わたしに何か特別な欲望や目的があるのかというと、そういうものはありません。むしろ、今日言いたいとか、今日やっておかないと明日は分からないとか、そんな感じで動いています。60歳になったとき、わたしを突き動かしているものや、わたしにとって幸せな生き方とは何だろうと考えました。そうしてできた”幸せの法則”を、最後にお伝えしましょうね。

幸福を導く「あいうえお」の法則

「あ」= 会いたい人に会いたい

「い」= 行きたいところに行きたい

「う」= うれしいことがしたい

「え」= 選ばせてもらいたい

「お」= おいしいものが食べたい

湯川れい子   時代のカナリア(集英社)

自由にできない時代を見てきたからこそ、自分で選んで、行きたいところへ行き、会いたい人に会うという生き方が、わたしを動かしている源なのだと思います。

年齢も性別も異なるお二人の、女性の社会進出や日本文化に対する考え方をお伺いしました。日本の明るい未来のために、女性はもちろんのこと、若い方々がどんどん行動していくこと、そしてそれを実行できる世の中を作っていくことが大切だと強く感じました。