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1965年、昭和40年に生まれたミュージシャン「吉川晃司」さんは2011年7月、東日本大震災被災地復興支援のため2日間のライブを行いました。

21年ぶりに「布袋寅泰」さんとのユニット「COMPLEX」として限定復活となり、東京ドームで行われたこのライブでは10万人を動員。

ファンにとっては念願の復活ライブとなり、大盛況だったことはいうまでもありません。

売上の6億5千万円を義援金として寄付すると公開されたことは、被災者の心にとって大きな救いとなったのではないでしょうか。

この記事では、そんな吉川晃司さんが表明した、東日本大震災で被災した人たちへの想いや、その生い立ちに迫ります。

吉川晃司とは?被爆二世として生きるミュージシャン

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吉川晃司さんの元の実家は、現在の広島市中心部でした。

祖母らは原爆投下1カ月前に疎開していたため直接的な被害は逃れたものの、父が投下直後に入市したことにより、入市被爆。吉川晃司さんも、被爆二世にあたるのだとか。

そのような生い立ちが関係しているとは考えにくいですが、東日本大震災という予期せぬ震災による被害者たちへも、「何かしたい」という気持ちがあったからこその、復活ライブだったのかもしれません。

今まで特に目立った寄付活動などをしてこなかった吉川晃司さんですが、2013年には広島での始球式へ参加。

被爆二世として5回裏終了時に「イマジン」の和訳バージョンを独唱し、核兵器廃絶を訴えました。

要所でその影響力を活用し世間へ想いを伝える姿は、まさに日本の粋な男性像と言えるでしょう。

吉川晃司が寄付へこめる想いとは?

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21年ぶりの復活ライブとしてファンを喜ばせた、吉川晃司さんと布袋寅泰さん。

2日間にわたるライブで集まった収益は、「被災地で新しい事業展開をする人に役立ててほしい」との想いで、被災規模の大きな街の一つ「宮城県気仙沼市」へと寄付されました。

ふたりは「COMPLEX」として、「日本一心」の義援金に関して公式ホームページにて、下記のように言葉を閉じています。

「亡くなられた方々へのお悔やみとご家族へのお見舞いを申し上げるとともに、寒い冬を迎え、いまだ過酷な状況下、日々の厳しさに耐え奮闘されている被災地の皆さまに心から敬意を表します。」

吉川晃司さんの影響力とは?寄付金による活動例

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吉川晃司さんと布袋寅泰さんが「COMPLEX」としておこなったライブにより集まった寄付金はその後、孤児や遺児を対象とした心身の健康維持サポートのために利用されました。

「被災児復興支援施設・チャイルドハウスふくまる」では屋内の遊び場をもうけ、臨床心理士を導入した定期的な心の相談ができるようになったといいます。

この施設に必要となった事業費の一部が、COMPLEXによる寄付金により実現しました。

ふたりの活躍と想いにより、どれだけの子供たちが健康を取り戻すことができたのでしょうか。

反対に、その支援がなければ今どれだけの子供たちが苦しみ続けていたのでしょう。

影響力をもつ彼らのような人の行動は、日本で被災に苦しむ人たちを支えてきたと言っても過言ではありません。

吉川晃司さんの寄付が多くの子供を救った事実

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吉川晃司さんは、TOKYO FMへ下記のようなメッセージを送っています。

『地震により被害を受けられた皆様にお見舞い申し上げます。

一刻も早い復旧と、皆さんの健康を祈りつつ、

今自分に何が出来るかを考え、

動いてみたいと思います。

まずは、節電。

そして被災地のために買い占めを控える。

皆さん、身近で出来ることをやりましょう。

「がんばれ、日本」です。』

引用:https://www.tfm.co.jp/lock/hope/#kikkawakouji

「がんばれ」を言葉だけでなく、行動にして示した吉川晃司さん。

このような人の影響力が、さらに多くの人の行動力に繋がっていくのかもしれませんね。