櫻井翔とは

国民的アイドルグループ嵐のメンバーの櫻井翔さん。1999年にジャニーズ事務所からデビューしました。

嵐のメンバーとしての音楽活動のほか、俳優や作詞家、ニュースキャスターや司会者など幅広い活動を行っています。

甘いルックスと慶應義塾大学経済学部卒業という博識ぶりで老若男女問わず絶大な人気を誇っています。

櫻井翔の被災地支援

出典:twitter.com

2011年3月11日に発生した東日本大震災。多くの人々の命を奪ったこの震災ですが、櫻井翔さんや嵐のメンバーはさまざまな形で支援活動を行ってきました。

「ニッポンの嵐ポケット版」などの収益金の寄付

日本文化を考えるきっかけにと、嵐のメンバーが日本各地で取材した内容をまとめた「ニッポンの嵐ポケット版」は、2011年6月30日に発売されました。発売から4ヶ月で42万部を売り上げた印税を、東日本大震災の被災地に寄付しました。

さらに、2011年6月に東京ドームで開催されたイベント「嵐のワクワク学校〜毎日がもっと輝く5つの授業〜」のグッズ販売収益を寄付。

2つの寄付金の合計額は、3億150万円となり、岩手、福島、宮城の復興支援に役立てられました。

被災地でのボランティア活動

日本テレビ系列「NEWS ZERO」のキャスターとして活躍している櫻井翔さん。これまでに何度も自ら被災地に行き、現地の状況をレポートしてきました。

震災が発生した直後の2011年5月30日には、津波の被害を受けた家の泥かき作業のボランティアを行いました。

泥まみれになりながら、被災者の方々とともに一生懸命活動を行っていたという櫻井翔さん。

夜には避難所で食事の手伝いを行い、慣れない手付きで玉ねぎを切っていました。

櫻井翔の被災地支援に対する想い

櫻井翔さんは、「NEWS ZERO」のキャスターとして、毎年継続して被災地の様子を取材し、伝え続けてきました。

そこには櫻井翔さんのどのような想いが隠されているのでしょうか。

「NEWS ZERO」のキャスターになって、「戦争の記憶」を語り継いでいきたいと考えていた櫻井翔さんですが、キャスターとして活動し始めて5年で東日本大震災が発生しました。

「キャスターをはじめて5年経った時に震災が起きて、これは継続して取材していかなければいけないと思った」と語っています。

「戦争と震災の記憶は、自分にとって2つの大きなテーマ」と語る櫻井翔さん。

「この2つは、伝えるという立場においては、風化させない、忘れないというところが共通すると思っている」と、忘れてはいけない、語り継いでいかなければならないという想いが込められていることを明らかにしています。

震災から10年の節目を迎えた2021年。取材に対して櫻井翔さんは次のように語っています。

「こんなことを言ったら元も子もないのだろうが、やっぱり節目も区切りも、きっと当事者にとっては無い。9年目や11年目と何ら変わらない10年目だとは思う。僕らの役割としては、変わらず来年も再来年も、伝え続けていくということだけなのかなと思っている」

被災地の様子をこれからも変わらず伝え続けて行きたいという決意を感じられる言葉ですね。

まとめ

ニュースキャスターとして継続的に現地の取材や支援を行ってきた櫻井翔さんの活動について紹介しました。

震災発生直後には、被災地でのボランティア活動を行い、その後も継続して被災地の状況を伝え続けている櫻井翔さん。

「震災の記憶を風化させない」という信念のもと、さまざまな活動を通して「震災の記憶」を伝えてきました。

被災地への支援は、継続して行なう必要がありますが、それ以上に「忘れない」ことが大切だと、伝えてくれています。

みなさんもぜひ、この機会に被災地に想いを馳せてみてください。

被災地に想いを馳せることで、自分にできることを少し行動に移してみようという思いに繋がるかもしれません。

一人ひとりにできることは少ないかもしれませんが、多くの人々が少しでも行動を起こすことで大きな力となります。

震災から12年が経過した今だからこそ、被災地のことを思って行動を起こす人が1人でも増えることで、大きな力になるのではないでしょうか。