「GLAY」は、日本を代表する人気ロックバンドです。音楽界だけでなく、日本の地域・社会にも寄付や慰問で多大な貢献を果たしています。震災などの災害時には義援金を募るとともに、イベント収益金の寄付やチャリティグッズの制作販売から避難所での炊き出しまで、精力的に被災者支援に取り組んできました。

またGLAYは、昨今の新型コロナウイルス感染拡大を受け、名古屋・東京のドーム公演をやむなく中止した後、医療機関に1,000万円とコンサート用に用意していたマスク5,000枚を医療従事者に寄付しました。

GLAYのリーダーであるTAKUROさんは、ウクライナ人道危機救援金として1,000万円を日本赤十字社に寄付しました。

GLAYはその音楽活動における人気や曲の売上枚数、コンサートの動員数などでしばしば話題になります。しかし、今までに行ってきた多くの寄付活動について、メディアで大々的に取り上げられることは多くありません。

この記事では、GLAYの今までの寄付活動の功績や、彼らの寄付活動への考え方について紹介します。

ウクライナに1,000万円寄付

GLAYのリーダーであるTAKUROさんは、ウクライナ人道危機救援金として1,000万円を日本赤十字社に寄付しました。

2022年3月22日に公式サイトにて、「ウクライナおよびその周辺地域で緊急事態に置かれている皆さま方には、心よりお見舞い申し上げます。また犠牲になられた方々に、謹んでお悔やみを申し上げます。この度の人道危機において、多くの市民が犠牲となり、多くの人々が不安に苛まれている現実に心を痛めており、人々の安全と幸福への願いを込めて、TAKUROが、ウクライナ人道危機救援金として日本赤十字社に1,000万円の寄付を行いましたことをご報告致します。GLAYなりに何か力になれることはないかと模索し支援をさせていただきました。この緊急事態が少しでも早く解決し、世界に平和が戻ることを心より願っております。」とコメントしています。

熊本地震復興支援に1,000万円寄付

2016年、GLAYは読売愛と光の事業団を通じて、熊本地震に対する復興支援の義援金として1,000万円を寄付しました。 

GLAYはこの前年にも、同事業団に9月の関東・東北豪雨への義援金として200万円を寄付しています。

GLAYの持つ社会貢献への高い意識が、日本の地域社会が発するSOSを聞き入れる耳となっているのでしょう。

チャリティーソング売上の2,000万円を小学校に寄付

2011年、GLAYはチャリティーソング「Thank you for your love」を配信し、収益の全てを日本赤十字社を通して寄付しました。

さらに全国各地で開催した同タイトルのイベントで販売したグッズの収益、約2,000万円を基金として、東日本大震災で被災した石巻市の小中高等学校16校に楽器289点を支援しています。

贈呈式にはGLAYからのビデオメッセージの上映や、子どもたちによる楽器演奏などが行われました。

東日本大震災で被災地に2,000万円寄付

GLAYは2011年の東日本大震災の時にも、朝日新聞厚生文化事業団を通じて2,000万円を寄付しています。

「歌うこと以外で、地域に社会にできることはないか」と自身に問いかけ続ける姿勢が、GLAYが音楽活動以外でも愛される理由なのでしょう。

「エールを北の医療へ!」地元北海道に寄付

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GLAYは日本はもちろん、海外、特にアジアで爆発的な人気を誇っています。

そんな彼らは全員が北海道函館市の出身です。

彼らの原点である北海道への、地元愛溢れるエピソードをご紹介します。

財政破綻の夕張市に、毎年慰問

夕張市はよく知られているように、2007年に財政破綻しました。GLAYは「何か力になれることはないか」と、財政破綻以後は毎年夕張市を慰問しています。

また北海道胆振東部地震後には、道内の観光需要喚起を目的とした「元気です北海道」応援プロジェクトの北海道応援アンバサダーに就任するなど、地元・北海道の支援に尽くしています。

地元北海道の地域医療を守るため、北海道庁に1,000万円寄付

2020年、GLAYは北海道の地域医療を守るため、北海道庁へ1,000万円の寄付を行いました。この寄付活動にも、GLAYの故郷愛、4人の結束力がよく現れています。

「正しい道を歩む」TERUの精神

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メンバーの一人、TERUさんは震災時にはすぐに被災地に駆けつけ、ファンとの交流を何より大事にしています。これまでにも災害時に、TERUさんは何度も「行動」を起こしてきました。

そんなTERUさんの、寄付や慈善活動に対する思いとはどんなものでしょうか。TERUさんはインタビューの中で語っています。

「お金なんかどうでもいい、まっすぐ進みたい」

1990年代後半、リリースした曲が次々と大ヒットしたGLAYは音楽業界のトップを走っていました。

売上が伸びたことで経済的な余裕が生まれ、物事を冷静に考えられるようになったそうです。

「もうお金なんかどうでもいい、俺たちはまっすぐ進みたい」

TERUさんはそう考え、正しい道を歩むことができたと語ります。

GLAYは常に自分たちの活動に関してとても冷静に考えており、将来的にCDが売れなくなる時代のことまでも見据えていたそうです。

解散の話が出たこともありましたが、同郷であるメンバーの強固な結束力で危機を一緒に乗り越えて、独立という新たな方向性を見いだしたのだといいます。

「感謝の気持ちは伝えきれない」

国民的バンドGLAYを牽引するTERUさんは、バンドのボーカルという顔であると同時に、ファンと誰よりも近い存在です。

「ファンの思いを聞いていくと、やっぱり家庭環境とかいろんなことで悩んでる人たちも多い。じゃあそういう子たちに音楽で何か届けられたら。そういうことは考えています」

TERUさんは商売ではない、アーティストとファンの垣根を越えた人間味あるて交流を続けています。

またGLAYのモバイル向け会員制サイトでは、運営の傍ら自分の生活の時間を削ってでも毎日誕生日のファンにメッセージを送っています。

GLAYのアマチュア時代、まだファンは30人ほどしかいなかったそうです。

彼らは下積み時代、当時のファンにハガキでダイレクトメールを送っていたといいます。

そんな下積み時代を経たGLAYのメンバー全員が大切にしているものは、ファンへの感謝、支えてくれる人への感謝です。

高校時代からの夢を今も追い続けるGLAYの活動からは、支え続けてくれたファンへの感謝がひしひしと伝わってきます。

そして世界的に有名になった今でも、音楽活動と並行して慈善事業にも注力し続けています。バンド少年の精神、人を大切に思う気持ちは、今も昔も変わりありません。

まとめ

デビュー以来活動の歩みを止めずに進化してきたGLAYは、常にファンを大切にし寄り添う姿勢を崩すことはありませんでした。

今までずっと解散することなく活動を続けられたのは、その賜物といっても差し支えありません。感謝に裏付けされた音楽のパフォーマンスはもちろん、並行して行ってきた寄付や慈善活動の功績も、目を見張るものがあります。

いつも初心を忘れず、感謝を忘れず、人の声によく耳を傾けるGLAY。これからの活動にも注目です。