還暦を迎え、ますますダンディーさに磨きがかかる俳優・舘ひろしさん。

シリアスな役からコメディまで、幅広い役柄をこなす名俳優として第一線で活躍し続けています。

そんな舘ひろしさんが、東日本大震災の発生時に所属する石原プロモーションの俳優陣とともに行った炊き出しについて紹介。

石原プロと舘ひろしさんの活動に込められた思いに迫ります。

舘ひろしとは

舘ひろしさんは千葉工業大学に在学中に、バイクに夢中になり、「COOLS」というオートバイチームを結成。

それが芸能関係者の目に留まり、芸能界に入ることになります。

矢沢永吉さんがリーダーを務めていたロックバンド「キャロル」の親衛隊として活動。

1975年バイクチーム「COOLS」からの選抜メンバーで結成されたロックバンドのボーカルとして「紫のハイウェイ」でデビューしました。

1976年に映画「暴力教室」で映画俳優としてデビューし、同じ年の「男組 少年刑務所」で映画初主演を果たしました。

1979年に名作「西部警察」シリーズに出演し、俳優の渡哲也さんと出会います。

1983年に憧れの渡哲也さんと同じ石原プロモーションに入りました。

その後もシリアスな刑事役からコミカルな役柄までこなす名俳優として、幅広く活躍しています。

石原プロとは

故石原裕次郎さんが1963年に設立した石原プロモーションは、芸能事務所兼制作プロダクションです。

通称「石原プロ」、所属する俳優たちは「石原軍団」と呼ばれ、親しまれました。

「黒部の太陽」「太平洋ひとりぼっち」「太陽にほえろ!」など次々と人気作品を生み出した石原プロ。

自社で撮影機材や撮影用の車両などを所有し、映画製作会社としても活動を行っていました。

2021年1月に石原プロは解散。

「株式会社石原プロモーションの称号を裕次郎の仏前に変換する」との名目で、芸能事務所としての活動を終了しました。

石原プロの炊き出しの歴史

出典:sponichi.co.jp

石原プロは撮影用の機材の他に、餅つき機や巨大な炊飯器などを所有しており、石原プロの関連イベントなどでの「炊き出し」が恒例行事となっていました。

カレー・赤飯・雑煮・豚汁・おはぎなど、メニューも豊富な石原プロの炊き出しは、所属俳優が料理を配ることでも知られ、人気となりました。

1955年の阪神淡路大震災では、被災地の兵庫県芦屋市で渡哲也さんと渡瀬恒彦さんが炊き出しを行い、被災者にやきそばを振る舞いました。

東日本大震災での石原プロと舘ひろしの炊き出し

出典:sponichi.co.jp

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

東北地方を中心に大きな地震と津波により甚大な被害が発生しました。

この東日本大震災の発生後に、舘ひろしさんをはじめとする石原プロの俳優陣「石原軍団」が、被災地で炊き出しを行いました。

石原軍団はトラック28台を連ねて被災地に入りました。

宮城県石巻市を訪れた石原軍団の舘ひろしさんや渡哲也さんたちは、2011年4月14日から20日までの1週間に渡り、1万5000食もの炊き出しを行いました。

カレー・焼きそば・おでん・ぜんざいなど、豊富なメニューで被災者を元気づけました。

震災の発生当時、東京で仕事中だったという舘ひろしさん。

徐々に東北地方の被害状況がわかっていくなかで、石原軍団内で自然と「炊き出し」を行う心づもりができていたと言います。

「なにかやらなきゃという思いでした。僕達が活動できるのは応援してくださる方々のおかげ、というのが基本にあります。僕らができることは炊き出ししかない。短い間でも、皆さんを勇気づけることだけを目標にしました」

舘ひろしさんはインタビューに対し、後にこのように語っていました。

被災地での炊き出し活動を行った1週間の間、舘ひろしさん達石原軍団はお風呂にも入らず寝袋で寝泊まりをしていました。

「被災地に迷惑をかけないことは鉄則です。食料、水。燃料はすべて、トイレも2〜3基持っていきました。寝袋、湯たんぽを持っていき、公民館で寝泊まりすることにしました」

石原プロと繋がりのあった宝酒造も協力し、原酒を運ぶためのタンクローリーに水を1万リットル入れて運びました。

「売名行為と言われようが、被災地の方々を元気づけるために現地へ行ったほうが良いと決断した」と、舘ひろしさんは後のインタビューでこのように語っています。

熊本地震での炊き出し

出典:sponichi.co.jp

2016年4月に発生した熊本地震。

この地震の発生後も、舘ひろしさんをはじめとする石原軍団は炊き出しを行いました。

地震発生の2ヶ月後の6月11日に熊本県益城町を訪れた石原プロの俳優陣。

約1700人が避難生活を送る体育館の近くなどで炊き出しを行い、約1万2000食を振る舞いました。

舘ひろしさんは、「僕らが差し上げられるのは元気だけ」と語り、被災地に元気を届けました。

まとめ

石原プロの炊き出しの歴史や、舘ひろしさんが行った被災地での炊き出しの内容、炊き出し

を行った際の思いなどについて紹介しました。

「被災地に迷惑をかけない」という鉄則のもと、人気俳優であるにもかかわらず1週間もお風呂にも入らず、底冷えするであろう公民館での寝袋での寝泊まりと、「被災者のため」だけを考えた支援を行った石原軍団。

東北の4月の夜はまだまだ寒さが厳しかったものと思われます。

身も心も疲れ切った被災者を勇気づけるために、被災者と同じ目線に立って温かい炊き出しを行った石原プロの炊き出しや、舘ひろしさんの思い。

これらを知ることで、今一度被災地支援について考えるきっかけになるのではないでしょうか。

「ボランティア」や「寄付」「自己犠牲」などは、偽善や売名行為と言われることも多々ある日本。

今回の石原軍団のように、知名度や影響力のある芸能人が行うことで、身近に考えるきっかけになるのではないでしょうか。